映画『ダージリン急行』ネタバレ&感想┃ポンコツ3兄弟のスピリチュアルインド旅

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こんにちは。れこぽんです🍋

『グラント・ブダペスト・ホテル』(2014年)と同じ
ウェス・アンダーソン監督の作品ということで
今回は『ダージリン急行』(2007年)を観てみました。

この記事を読むとわかること
  • 結末までのあらすじ(起承転結)
  • 感想&解釈

作品概要

タイトルダージリン急行/The Darjeeling Limited
監督ウェス・アンダーソン
公開日2007年
製作国アメリカ
上映時間1時間31分

ネタバレあらすじ(起承転結)

起:絶交していた3兄弟が列車でインド旅。

父の死去を最後に、絶交していたホイットマン三人兄弟。
彼らはそれぞれ事情を抱えていた。

  • 長男・フランシス:バイク事故で生死を彷徨っていた。
  • 次男・ピーター:奥さんが妊娠中にもかかわらず離婚を考えている。
  • 三男・ジャック:元恋人への未練を捨てきれずにいる。

この旅の目的は、

「昔のような固い兄弟の絆を取り戻す」
「スピリチュアルな旅をして学ぶ」
「どんな事もYESと受け入れる」

という、長男発案の3つの協定から成る。

しかし、再会しても、兄弟3人の関係はぎこちないままだった。


承:兄弟喧嘩勃発。列車から下ろされる。

列車が停車中、お寺をお参りする三人。
お祈り中は終始ゴタゴタ。全然スピリチュアルではない。

列車へ戻り、再び走り始める。
しかし、なぜか列車が迷子になり、再び砂漠で停車。

それをきっかけに、長男は二人を外へ呼び出し、
「実は母親がヒマラヤの修道院で尼僧になっている」と告げる。

最初から目的は

×スピリチュアルの旅
○母に会うための旅

だと気づき、次男と三男はあきれる。
再び列車が動き出すも、車内で更にギスギスする3兄弟。

些細なことで喧嘩勃発し、車内中を騒がせてしまう。
→列車を下ろされる。


転:川で溺れる子供の兄弟に遭遇。一人だけ助けられず、死んでしまう。

列車を下ろされ、途方に暮れる三人。

さすがに限界を感じ帰ろう決める。
川沿いを歩いていると、溺れている子供の3兄弟に遭遇。
必死で助けるが、一人だけ救えず死なせてしまう。

少年の葬儀中、父の葬儀の日の回想が入る。
葬儀が終わると、村の人に感謝されて見送られる。

三人の中で何かが変わる。



結:尼僧になった母親との再会

その後、このまま帰国する…と思いきや、
兄弟3人は母親のいる修道院へ向かう。

再会すると、それぞれの近況を報告し、
母の想いと向き合う。

母は兄弟3人に、これからの3つを約束した。

「明日は皆で楽しい時間を過ごすこと」
「後悔はしないこと」
「将来の計画を立てること」

朝になると母親はいなく、兄弟3人だけで過ごす。

帰国するため、駅に向かうと
ちょうど走ってきた列車に乗ろうとする3人。
「親父のトランクは無理だな」といって、
持っていた荷物を捨て、再び急行に乗り込んだ。


感想・解釈

『グラント・ブダペスト・ホテル』と同じく、
一度観ただけでは理解するのが難しい作品でした。

特に序盤は、会話がちぐはぐ。
「3人ともおじさんの割に子供っぽい」し
「なぜ仲が悪いのに一緒に旅をしているの?」など、
気になるところが多く、物語に入り込めませんでした。

でも中盤、少年のお葬式シーンを観た時に
この物語は「受け止めきれなかった悲しみを、受け入れるためのお話」であり、
その上で「背負ってしまった重荷を手放すお話」
なのだと解釈。そうすると、全体の見え方が一気に変わりました。


修理工場の描写の意味

途中で入った、父の葬儀の日の回想。
正直この描写の3人兄弟がポンコツすぎて、最初は意味が分らなかったです。

次男のピーターが葬儀直前に「車(父の)を取りに行きたい」と言い、
時間がないから後にしようと止めるが、それでも聞かない。
結局兄弟3人で修理工場に行くも、パーツがなくて車は動かせないのに
3人で無理矢理動かそうとジタバタする。
しかも、それで別の車にぶつかりそうになって逆ギレするし。
この描写は本当に必要か?

しかし、よくよく考えると意味がある描写だ。

  • 悲しい気持ち<父親の残したものを優先
    =葬儀に遅刻してまで車を取りに行く
  • 大きすぎる重責は不自由で危険
    =結局トランクだけ持ち出して車は持ち出せない。轢かれそうになる。

大人になれない子供たちなりの父への愛情を表わしていると同時に
それは自らを危険に追い込むことも示している。

それが裏付けられるのが、インドで遭遇した少年の死だ。


少年の葬儀=父の死の追体験

インドで溺れかけていた子供の3兄弟たちも、
濁流の中、明らかに重すぎる荷物を運ぼうとしていた。
そして1人は命を落とした。

目の当たりにしてはじめて
自分たちの行く末もこうなるであろうことを
無意識に読み取ったのではないだろうか。

少年の葬儀=かつての“父の死”を追体験であり、
彼らにとって遅すぎる、大人への通過儀礼だ。

お寺でのお祈り中、黙ることも出来なかった3人が
言葉を交わさず真剣に儀礼に参加できたことが、成長の証なのだろう。


早々に手放した尼僧の母

私が思うに、この3人の母親が尼僧になったのは
家族という重荷に手放して自由になりたかったのだと思う。

3人が母親と再会した時「なぜ父の葬式に来なかったの?」と尋ねると
「なぜそんなことを聞く」「行きたくなかったからよ」とだけ答える。

言葉は冷たそうに聞こえるが、これは家族を愛していないということではない。
むしろ、はっきりとした理由を言わないのは

  • 家族という絆が彼女を不自由にしていたこと
  • 親子の絆が子供たちを不自由にすること

をあえて伝えないためだと思う。

おそらく、この母親は言葉で子供たちを縛ってきたことを悔いているのではと思う。
長男の列車での注文の仕方と同じで
朝食のメニューを兄弟たちに勝手に決めている描写があるように、
子供たちの成長を妨げてきたことを分っているはず。

それら全ての母の想いはやはり
「自由に表現したら?言葉を使わずに…」
というセリフに集約している。

だからこそ、「自由になれ」とも「父の重荷を背負うな」とも言わず、
自分は早々に家族という重荷を手放したのだろう。(朝になったら母の姿がなかった)


トランクを投げ捨てるラストシーン

兄弟3人はインド旅中、
常に自分たちでは抱えきれない大荷物を持ち歩いていた。

トランクの高級さから家が裕福なのが窺える。
列車から下りて運ぶ時も、使用人のような人たちで運ばせている描写がたびたびある。

誰かがいないと運びきれないその荷物は
大切な父からの遺産であり、まさに不自由の象徴だ。

ラストシーンでは、そんな親父のトランクを
乱暴に投げ捨て、手放していく。
しかもスローモーションで言葉はない。

言葉を使わずに自由を表現したのが、
まさにこのシーンだったのだなと私は解釈した。

過去や執着を手放し、自由になる。
前に進むホイットマン兄弟3人が爽やかに描かれていた。


最初は理解できなかったシュールな描写や違和感も、
「受け止めきれなかった悲しみを、受け入れるためのお話」
「背負ってしまった重荷を手放すお話」
ということに気づいてから振り返ると、
すべてが“未消化な感情”の表れだったように見えてくる。

明るく、どこか滑稽に描かれているからこそ、
この作品の持つ喪失が、より際立って光ったように感じた。

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